第1701回 見る 感じる力

 令和7年 9月4日~

 ご本山の朝のお勤めのご法話で こんな話を聞きました。

 私たちは見えるものだけを大事にしていますが、見えないものも
有り難く大事なものがあることに、気づいていないのではないかという
お話です。

見えないものもあるというと、金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」の詩を

思い出します。

 青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように 
 夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

 ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、
 春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

 本当に大事なもの 有り難いものは 見えないものが多いようです。
親の愛や思いやり、優しさなどを、見ること、感じることができるか
出来ないかで、 その人の人生は大きく違ってくるものでしょう。

 見る力がないのか 見ようとしないのか。
それが、見えるように 感じられるようになってくるのは、
学校教育などの知識の教育だけでは不十分で、
仏さまのお話、ご法話を聞かせていただくことで
今まで気づかなかった大事で、有り難いものに気づき、
見過ごしていることに気づき、感じられるようになってくるのでしょう。

仏さまのお話を聞かせていただく中で、少しづつ 
変化が訪れてくると、人生はまるで違って見えてくることに気づきます。
見る力 感じる力、味わう力、それを育てていただくことが出来きるのが、
仏法に出遇うということだと、思います。

 まわりが少し見えるようになってくると
いかに多くの力に守られ育てられているか、なんと有り難く
素晴らしことかに気づかせていただけるのです。

 どうか、次の世代へも この見る力、感じる力を 伝え残して
行きたいものです。
それには、南無阿弥陀仏のみ教えを受け継ぐことが、もっとも確実で
近道だと味わいます。

          


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