第1696回 無駄な いのちは一つもない

 令和7年7月31日~

 8月が近づき、朝の日差しは、少しだけ柔らかく感じらます。
朝食の前に、墓地の草取りをしていますが、雑草の生命力の
強さに驚嘆しています。

 腰を落として、手で一本ずつ根から抜き取っていけばいいのですが、
効率を求めて、カミソリで、ひげを剃るように、鍬で削ぎ取っていますので
すぐにまた伸びて、大汗をかいています。

 仏さまのお話を聞いて、すこしは思いやりのある人間に育った
つもりでいますが、折角一生懸命に生きているのに、雑草だと
邪魔者扱いし、取り除き、良いことをしていると思っている自分に
気づきながらも、やめられません。

 私にとっては、価値のない厄介な草ですが、仏さまの目かみれば
懸命いきているかわいい植物の一つと見えていることでしょう。
美しいものや、売れるもの 誰もが価値があると認めたものだけが
大事で、そうでないものは、無駄で邪魔だと、徹底して取り除く私、
みんな平等の いのちをいただいていると、聞きながら、
自分の都合で生きていることを感じます。

 もしも、この草たちが思う存分成長し、地球を覆い尽くすことが
出来たなら、温暖化した地球は、少しは涼しくなるのかもしれませんが、
仏さまの気持ちに逆らって、悪者あつかいし排除している、人間中心、
自分中心で、生きていることに、思い当たります。

 雑草だけではなく、人間を見る目も、価値のある人 ない人
私に都合のよい人 悪い人、仕分けして付き合っていますが
仏さまから見れば みんな我が子のように可愛い存在なのでしょう。

そして、仏さまは、どうか、正しく ものを見る力を身に着けてほしい、
みんなそれぞれに、なくてはならない貴重な存在であり、
無駄のもの、意味のないいのちは 一つとしてないことを 知ってほしい
気づいてほしいと、はたらきかけていただいているのでしょう。

 この私のことも、今は、正しく見る目を持たない人間ですが、やがて
お浄土に生まれ、仏となって、人々に、正確に見る目を 
真実を感じ取る力を、一人でも多くの人に、気づかせるために、
はたらいてほしいと、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と呼びかけ、
見守っていただいていることでしょう。

私の周りの、どんないのちも、一つとして無駄ないのちはない、
そのことに、はやく気づいてほしい、感じてほしい。
見る目が開かれてくると、この世界は この人生は なんと豊かで
なんと有り難く、すばらしいものに、見え感じられてくるものですよと。

          


           私も一言(伝言板)