第1659回 願いを知る

 令和6年 11月14日~

 月忌参りをはじめ、本堂での法座では、いつも「正信偈」を
お勤めしています。
お仏事ですから、阿弥陀経などお経をお勤めするのが普通でしょうが、
親鸞聖人のまとめていただいた「正信偈」を、いつも拝読しているのには
大きな理由があります。

 お釈迦様の教えは 八万四千の法門といわれるように数多くあると
言われます。
しかし、その多くは 出家して、厳しい修行をし、さとりを
開こうとする、お弟子さん達のために説かれたものと言われます。

 ところが、私たちは 出家していません、修行をするような
気持ちもありませんし、また、その能力もありません。
そうした私たちをも、何としてでも救いたいと、阿弥陀さまは、
はたらき続けておられると、お釈迦さまは、教えていただいているのです。

 わがままで、自分が生きるためと、生き物のいのちを奪い、
罪の意識もなく平然と生きています。
しかし、その報いで、私は必ず地獄にいく生き方をしているのです。
それなのに、阿弥陀さまは自分の国、お浄土へ生まれさせて、
救いたい、何としても仏にしたいと、南無阿弥陀仏のお念仏となって
はたらき続けておられるというのです。

 親鸞聖人自身は 出家して修行をして さとりを得ようと
努力された方でした。
しかし、すでに末法の世、自分で努力しても、人間の力では
決してさとりを得ることの出来ない時代であることを知り、
お念仏の教えでしか、救われないことを、法然聖人に
出会うことで、はっきりと理解されたのです。

 これはインド、中国、日本の優れた先輩たちが
自分自身で味わい喜び、伝え残していただいた、有り難い教えであると、
教行信証にまとめていただいてるのです。

 ですから、正信偈のおつとめをするのは、数多くの教えがあるものの
今の時代、この私が救われる教えは、このお念仏の教えしか無い。
他の教えでは、助かることは出来ないと教えていただいているのです。

 そして、ご和讚で詠んでいただいたように
  安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
   釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし

 お浄土へ生まれて仏と成って、はたらいておられる
両親や 祖父母・多くの先輩の方々は、お釈迦様のように
私のために この教えでしか救わる道はないと勧めて
いただいているのです。

 いつも正信偈を拝読しているのは 先だった両親の
遺言を読み直すようなもの、親の願いを聞くことなのです。
なかなか親の願いに気づくことができませんが、
その思いに、願いに出会うことが出来ているのです。

 遺言書を 読むように、親の願いを味わわせていただき、
お勧めいただいているとおり、お念仏して、同じお浄土へ
生まれるものとしての生き方をさせていただきたいものです。


          


           私も一言(伝言板)