一、常民誕生とその時代 二、長崎防備と藩政改革 三、精煉方と海軍所
四、万国博覧会と赤十字 五、近代国家への胎動 六、博愛社の誕生
七、赤十字の歩みとともに      
 
西 暦
年 号
常民の主な出来事 社会の主な出来事
1830年
文政13年
2月
鍋島直正が佐賀藩の第十代藩主となる
6月
直正、長崎で砲台とオランダ船を視察する
天保1年
1831年
天保2年
 
6月
藩校弘道館教授の古賀穀堂、藩政改革の意見書「済急封事」を直正に提出
9月
佐賀藩、長崎警備を強化する
1832年
天保3年
藩医佐野常徴の養子となり、前藩主から「栄寿」の名を授かる
1834年
天保5年
外生として弘道館へ通学し、古賀穀堂に学ぶ
7月
佐賀藩、医学館を設立
1835年
天保6年
弘道館の内生に進む
5月
佐賀城二の丸が焼失
6月
佐賀藩、財政再建のため四二〇人を整理
1837年
天保8年
養父常徴のいる江戸へ旅立つ
2月
大塩平八郎、大坂で乱をおこす
1838年
天保9年
江戸で古賀侗庵に学ぶ
 
1839年
天保10年
佐賀に帰り弘道館で漢学を、松尾塾で外科術を学ぶ
1月
前藩主鍋島斉直、江戸で死去する
1840年
天保11年
 
5月
佐賀藩、弘道館を拡張し、教育改革を推進する
6月
アヘン戦争(〜1842)
9月
佐賀藩、神埼郡岩田で高島流砲術演習を実施
1841年
天保12年
 
5月
幕府、天保の改革に乗りだす
1842年
天保13年
佐野家の養女駒子と結婚する
7月
幕府、異国船打払令を廃止する
12月
佐賀佐賀藩、加地子(小作料)猶予令を出す
1843年
天保14年
 
12月
伊東玄朴、直正の侍医となる
1844年
天保15年
 
5月
佐賀藩、火術方を設立し、砲術研究に着手する
7月
開国を勧告するオランダ使節、長崎に来航する
9月
直正、オランダの軍艦パレンバン号に乗り込む
1846年
弘化3年
京都で広瀬元恭の時習堂に入門する
 
1848年
嘉永1年
大坂で緒方洪庵の適塾に入門する
 
1848年
嘉永2年
3月

紀伊で華岡青洲が開いた春林軒塾に入門する

江戸で伊東玄朴の象先堂塾に入門し、塾頭となる
江戸で戸塚静海に学ぶ
8月
藩医楢林宗建が直正の世子淳一郎(のちの直大)に種痘を実施
1850年
嘉永3年
大病を患い伊東玄朴の治療を受ける
7月
佐賀藩、築地の反射炉建設に着手する
1851年
嘉永4年
京都で技術者四人(中村奇輔、石黒寛次、田中久重、儀右衛門父子)を誘い佐賀に帰る
長崎に洋学塾を開く
4月
佐賀藩、長崎湾口の神ノ島・四郎島間埋立て工事に着手する(〜1852)
4月
佐賀藩、伊王島・神ノ島・四郎島の砲台設置に着手する(〜1854)
7月
佐賀藩、鉄製大砲の鋳造に成功する
1852年
嘉永5年
 
11月
佐賀藩、精煉方を設ける
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