明治政府が誕生してまもなくすると、旧武士階級の不満が各地で暴発、1877(明治10)年には西南戦争が始まりました。常民のもとにはこの凄惨(せいさん)な戦闘の様子が日々伝わります。
  かつて適塾(てきじゅく)で学んだ人命尊重の精神、ヨーロッパで出会った赤十字の理念を忘れなかった常民は、救護組織の必要性を唱え、「博愛社(はくあいしゃ)設立請願書」を政府に提出します。しかし、「敵の傷者も差別なく救う」という博愛社設立の趣旨は、当時の政府には受け入れられませんでした。
  常民は戦場となった熊本に出向き、政府軍の総指揮官有栖川宮熾仁親王((ありすがわのみやたるひとしんのう)に直接嘆願(たんがん)し、ついにはその熱意により、即日許可を受けることができました。まさに日本の赤十字事業の幕開けでした。


 
 
 

 

西南戦争最大の激戦地となった田原坂の戦いを描いた絵図。徴兵制による近代的装備の軍隊が反政府軍の鎮圧にあたった。激しい激闘の末、両軍におびただしい数の死傷者をだした。
 
 
 
  瀬高、山鹿、植木、田原坂等、西南戦争での攻防を日を追って描いたもの。
 
 
敵味方の枠組みを越えた救護組織の必要性を感じた、元老院議官の常民と大給恒は、協議の上、博愛社の設立へと動き出した。
 
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