江戸時代が終わり新しい時代になると、常民は明治政府の要職を歴任してさまざまな分野で活躍するようになります。 1869(明治2)年からは、日本海軍の創設、イギリス式兵制の採用、洋式灯台建設の推進など、欧米諸国に肩を並べる国家づくりに貢献しました。
  また、1873(明治6)年のウィーン万国博覧会には多数の技術者を率いて渡欧(とおう)し、その貴重な体験をまとめた膨大(ぼうだい)な報告書は、日本の近代化の指針となりました。日本の伝統的な芸術・文化の発掘や保護・育成の情熱は、内国勧業博覧会((ないこくかんぎょうはくらんかい)の開催へとつながり、日本の博物館事業を発展させることにもなりました。


 
 
 
   
常民は工部省灯台頭に在任中、外国人技術者R.H.ブラントンとともに洋式灯台の建設に力を注いだ。
 
 
 
 
1880(明治13)年、常民は大蔵卿に任じられ、西南戦争後の財政再建に力を尽くした。
  1876(明治9)年発行の官員録。元老院議官に常民の名が見られ、巻末には常民の蔵書印が押されている。
 

 

1888(明治21)年、常民は枢密顧問官となり国政に深くかかわった。錦絵の右側には常民が口髭を蓄えた風貌で描かれている。  

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