3.精煉方と海軍所


  学問を積んだ常民は、江戸からの帰途、からくり儀右衛門(ぎえもん)と呼ばれた田中久重(たなかひさしげ)らの優秀な技術者たちを佐賀藩に招きました。そして、佐賀藩精煉方(せいれんかた)の主任となり、蒸気機関の研究などさまざまな理化学実験を行いました。同時に、江戸幕府が長崎で開始した海軍伝習に佐賀藩から常民を筆頭に48名の藩士が参加し、造船・航海・砲術などの習得に励みました。
 常民は、この経験をもとに1858(安政5)年には三重津海軍所(みえつかいぐんじょ)の創設に尽力、幕府から預かった軍艦観光丸(かんこうまる)の船将(せんしょう)としても優れた指導力を発揮します。西欧から購入した軍艦が並び、初の国産蒸気船凌風丸(りょうふうまる)も完成、この地に日本一の偉容(いよう)を誇る佐賀藩海軍が誕生しました。


 
 
佐賀藩では、精煉方頭人の常民と4人の技術者を中心に様々な 理化学実験や先進技術の研究開発が行われていた。
 
  田中久重
(からくり儀右衛門)
石黒寛次 中村奇輔 田中儀右衛門
(田中久重の養子)
 
 
   
精煉方での化学実験などに使用された磁器。
  精煉方で製作された国産初の蒸気車雛型。
 
 
   
1857(安政4)年、常民は中村奇輔らとともに精煉方製作の電信機をもって薩摩に赴いた。 写真は中村奇輔製作の電信機として諫早の旧家に伝えられるもの。
  精煉方製作の雛型の一つで、精巧な蒸気機関にスクリューを取り付けたもの。
 
 
   
幕府が設けた海軍の教育機関。オランダ人海軍士官の指導のもと西洋式海軍技術の伝習が行われた。
  海軍伝習所で使用した佐賀藩の旗。伝習生の一人、川副与八が持ち帰ったもの
 
 
オランダ製木造外輪蒸気軍艦・長崎海軍伝習所で練習艦として利用され、1860(万延元)年から三重津で常民が船将を務めた。全長53m、幅9m、150馬力。
 
長崎に入港した外国船の情報を緊急に佐賀藩に伝えることを『白帆注進』と呼んだ。入港した外国船などのスケッチも残るが、常民が船将となった観光丸も描かれている。

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