2.長崎警備と藩政改革


  江戸時代、幕府は長崎でオランダと中国とだけ交易を行っていました。佐賀藩は、この唯一の窓口である長崎の警備を命じられていました。1830(文政13)年、鍋島(なべしま)直(なお)正(まさ)が佐賀藩の新しい藩主に就任。
  16歳の若き藩主は、佐賀城下に反射炉(はんしゃろ)を築き、日本最初の鉄製大砲の鋳造(ちゅうぞう)を成功させ、佐賀藩独力で長崎に砲台の築造を行うなど、長崎警備の充実を図りました。
  また、教育や産業など諸方面の改革に着手し、軍事・財政面でも強力な佐賀藩の体制づくりに乗り出しました。常民も、藩主から蘭学修業を命じられ、大坂や江戸へ学問の旅に出ます。この時期に彼は日本の将来を見つめる見識を深めていきました。

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弘化元年長崎警備図
1844(弘化元)年のオランダ使節来航時の、長崎警備の様子を描いたもの。湾の両側の西泊・戸町の番所や使節コープスの乗る艦船が描かれ、物々しい警備の様子が分かる。
 
 
  海外新話
アヘン戦争の概略を庶民向けに書いた軍記物語。日本に迫る外圧の脅威を啓発するため刊行された。
 
鍋島直正蘭船乗込図
1844(弘化元)年、日本の開国を勧告するオランダ国王の親書を携えた使節が来航。鍋島直正は、長崎警備上、西洋の軍艦構造を知る必要性を奉行に願い出、旗艦バレンバン号に乗込んだ。
 

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