マルチ人間常民の奮闘人生アラカルト
1.常民誕生とその時代

  19世紀にはいると、それまで200年近く国を閉ざしていた日本にも開国を迫る外国の圧力が日増しに強まってきました。長崎では、1806(文化1)年にロシア使節レザノフが来航し、日本との通商を要求。さらに1808(文化5)年にはイギリスの軍艦フェートン号が侵入するなど、江戸幕府のみならず、長崎警備にあたる佐賀藩に欧米列強の脅威を与えるような事件が起こりました。
  そうした情勢の中、1822(文政5)年、現在の佐賀市川副町(かわそえまち)早津江(はやつえ)のこの地に一人の俊才(しゅんさい)が誕生します。激動する時代の嵐の中、進むべき日本の未来を見すえ、近代日本の国家づくりの立役者(たてやくしゃ)となる佐野常民の登場です。

 
地球万国山海興地全図説 フェートン号図
外国船の来航により日本でも世界認識の重要性がまし、正確な地図が作られるようになった。
佐賀藩の長崎警備当番の年、イギリス軍艦フェートン号が長崎に侵入。佐賀藩は幕府から厳しい処分を受けたが、逆に藩の改革を促す契機となった。
 
ロシア使節レザノフ来航絵巻
ロシア使節レザノフは通商を求めて来航したが、幕府はこれを拒否。これ以後
、外国船との事件が頻発し、幕府は日本北辺にも脅威を感じるようになった。
 
鎖国の時代、諸外国の情報・文物は、オランダ・
中国の船によって日本にもたらされた。
 
 
  伯爵佐野常民君生誕地記念碑
佐野常民は1822(文政5)年12月28日、佐賀藩士下村充贇の五男として生まれた。9歳の時、藩医佐野常徴の養子となった。1926(大正15)年、日本赤十字社創設50年紀念事業の一つとして常民の生誕地跡には記念碑が建設された。
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