佐賀の七賢人の一人、佐野常民は、1822年に佐賀藩士下村充贇の五男として佐賀市川副町早津江に生まれました。9歳の時、藩医佐野家の養子となり藩校弘道館では学才を発揮、その後、大坂や江戸で緒方洪庵、伊東玄朴らの門弟となって蘭学、医学などの学識を広めました。
31歳の時に佐賀藩精煉方主任となり、さまざまな理化学研究の指揮をとり、蒸気船・蒸気車の雛形、電信機の製作を行いました。

  1855年からは幕府の長崎海軍伝習所で航海、造船術を学び、3年後、郷里の三重津に佐賀藩海軍所を置いて伝習を開始。この地で日本初の実用蒸気船「凌風丸」などを完成させました。また、1867年のパリ万国博覧会には佐賀藩の団長として、6年後のウィーン万国博覧会には博覧会事務副総裁として渡欧。西欧の先進的な知識・技術・思想の見聞・習得に努め、同時に、各国に赤十字社が組織されていることを知りました。

  1877年の西南の役で、その惨状に心を痛めた彼は博愛社を創設、敵味方の区別なく負傷者を救護しました。これが日本における赤十字事業のはじまりです。10年後、博愛社は日本赤十字社となり、常民は初代社長に就任しました。大蔵卿、元老院議長など、政府の要職を歴任する一方で、工部大丞兼燈台頭として洋式燈台の建設、内国勧業博覧会による伝統美術・工芸の発掘、日本美術協会の前身「龍池会」の会頭として芸術家の保護・育成に力を尽くすなど、常民はマルチ人間として、近代日本の形成過程において数々の偉大な足跡を残し、幕末から明治の時代を駆け抜けていきました。


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