センター長より



 佐賀県は歴史的、文化的、経済的に4ブロックに分けられます。
佐賀市周辺の中部県域、鳥栖市周辺の西部県域、鹿島市周辺の南部県域、それに当センターの所在する
唐津市周辺の北部県域です。
社会福祉法人佐賀整肢学園は昭和35年、ポリオが未だ猛威をふるっていた時代に、その後遺症に悩む子
供たちのために、佐賀新聞社初代社長の中尾都昭氏のお世話で、お年玉年賀葉書寄付金の配分を資金と
して佐賀市北部金立の地に整形外科単科の病院として開設されたのが始まりです。
「医療機関でありながら児童福祉施設」という特色のある組織の誕生です。
初代施設長は、九州大学整形外科教授天児民和先生が兼任をされ、副施設長に多田俊作先生が赴任され
事実上の責任者として任に当たられました。
当時は、佐賀県立病院の整形外科でさえ部長1名、派遣医師1名程度でやっていた時代であり、いかに佐
賀整肢学園が優遇されて、医師派遣が行われたのかが分かります。当時の記録写真を見ると職員の熱気
が伝わってきます。その後も、九州大学整形外科教室からの医師派遣を受けて診療を継続し、平成6年以
降は、佐賀大学小児科教室から、平成11年には、佐賀大学整形外科教室からも派遣を受け、名称も医療
機関らしく佐賀整肢学園こども発達医療センターと改称し、今日に至っています。
時代は流れ、昭和45年からは、渡邊良之医師が施設長。
昭和56年から、私、原が施設長。
平成14年からは、窪田秀明医師です。
平成24年で、開設52年にあたります。
さて、佐賀県は比較的丸い形をしており、佐賀市から東西南北の県境まではいずれも約1時間で行けます。
県境まで数時間かかる県に比べれば佐賀県は通院には恵まれた県です。
しかし、モータリゼーションの時代とはいえ重症の子供さんを乗せて通院するには、1時間はきつい距離で
あり、何とか30分以内に出来ないものかと赴任当初から考えていました。
そして、念願かなって、平成14年に、ついに唐津の地に障害児者のための施設を完成させることができま
した。設立の責任上、私、原がセンター長として赴任しました。
松浦川河畔に佇み、隣には久里双水古墳があります。
そして、平成16年には、皇太子の訪問の栄誉を得ています。
からつ医療福祉センターは、開設当初から複合施設を目指しました。
平成24年度からは、障害者自立支援法に全面移行し、障害支援施設(旧身体障害者療護施設)、療養
介護事業所(旧重症心身障害児施設)、障害児通所支援事業(旧知的障害児通園施設)、ほか多種の
事業が名称変更され、小さな事業を含めると18事業が行われています。
その他、医療機関の役割として、在宅障害児者に対して医科通院、歯科通院治療を常勤医師5名、歯科
常勤医師1名で行っています。当センターの職員は、約190名となっています。
法人経営の傍ら、私のライフワークは、先天性股関節脱臼等の小児整形外科と脳性麻痺の発達を邪魔す
る異常筋緊張の解決です。
 佐賀の地でより良い治療方法が開発されることを願っています。