第387回 どんどん嬉しく楽しく

  平成12年 6月22日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
インターネットとは便利なもので、大谷大学の小川一乗学長の
「 仏教の根本にあるもの 」 という放送が、NHKTVの
 「 心の時代 」で放送されると、武蔵野女子大学の
本多静芳先生から連絡をいただきました。


小川一乗先生は、47歳の若さでガンでなくなられた北海道の
坊守さん、鈴木章子さんの実のお兄さんだそうです。


そのお話の中にこんなところがありました。

「 命終えればどこか楽しい良い理想の世界に行きたい
願いをもって、死んでいく人が多いので、親鸞聖人は
それを無視することなく、阿弥陀如来の浄土は、必至滅度、
必ず滅度に至る、必ず完全な涅槃にいくとおしゃっています。


しかし、人びとは、良いところに行きたいという、未来に幻想社会を
つくり上げますが、それを方便化土、かりそめの手段としての
世界として、表現しておられます。


どうしても私たちは、将来、うるわしい美しい世界が待っていると
考えますが、厳しく言えば、それは、私たちの思いであって、
基本的には、涅槃は静けさであり、何も死に意味を
持たせてはいけない。


私たちは、自分の死というものに、意味を持たせなければ
生きていけない、死とは生まれ変わりの出発点であるとか、
どうせ死ぬなら誰かの役に立ちたいとか、自分の死に
意味付けをして、やっと安心して、納得して死んでいけるというのが
ほとんどの人ではないでしょうか。


そういう自我の働きの中では、しかたがないが、自我を
越えた仏教の世界では、そうではなく、死は静かな元の
大きな命の世界に帰らせてもらう、それが親鸞聖人の
言葉でいえば、真実の浄土、真実報土なのだよというのが、
それが基本である。


たとえば科学の世界は、人間の苦痛とか苦悩を、全部切り取る、
手術をして切り取ることによって人間は、楽になるといいますが、

仏教はこれと違って、その苦悩を引き受けることによって、
乗り越えていける、苦悩も命の一つである、だから苦痛や
苦しみを切り捨てたり、そこから逃げたりせずに、それを
引き受けたときにこそ、身に受けたときこそ、越えていける命の
真実があるというのが、仏教の基本である。 」

とおっしゃっていました。

また、「真実の教えは、その教えに出会ったことによって、
生きていることが、どんどん嬉しく楽しくなって行くものである、
これが本物である」ともおっしゃっていました。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月29日に新しい内容に変わります。