第377回 浄土真宗の道しるべ


     平成12年 4月13日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
今月の法話カレンダーの言葉、


「 どれほど道があろうと、自分が登ることになると一つです 」。
との平野修さんの言葉をご紹介しましたら、平野先生のお話を
熱心に聞いておられた方から、なつかしいと感動的なお電話を
いただきました。


そこで、今回も平野先生の法話から、「浄土真宗の道しるべ」の
一部をご紹介します。


「 我々の常識的な感覚からいけば、同じくお釈迦さまから出た
  仏教なのだから、頂上へ登ればみな一緒ではないかと
  いうことになります。

   もっとひどくなると、『 神様も仏様も一緒のことじゃないですか 』
  と言う人もある。それでは法然上人や親鸞聖人のお仕事は、
  全く意味のないことになります。


   明らかに違うということで、目印をたてられたのに、今日の我々は
  『 一緒ではないか 』 に
してしまっている。

『 違うといってわざわざ相手と競うようなことをしなくても、
  同じ宗教家なら皆仲よくやっていけばよいではないですか 』 と、
  こんな話になりがちなのです。


   しかし、大事な点は、目印をたてるということは、他とは違うから
  立てるのだと、この意味を心得ていただきたいと思うのです。



  では、他と違うという場合の 『 他 』 とは何をさしているか。
  まず、従来の仏教とは違う、ということがあります。



   今までの仏教は、布施をしたり、戒律を守ったり、行をしたり、
  心を定めたり、祈ったり、こういうことを本来としてきました。


   比叡山の天台宗。奈良に栄えた華厳宗、法相宗、律宗など。
  高野山の真言宗。それから世にいう禅宗、などなど。
  そういったものと違うのだということを、まず立てられた。


   しかしそれだけではなく、日本人がいわゆる宗教としている
  ものとも違うのだと、親鸞聖人は言われました。
  代表的には、鬼・神・魔です。



   魔にはいろんな意味がありますけれども、我々の弱点を
   見つけ出し、我々の弱点を突いてきて、我々を苦しめ
   悩ませるものが、大体、魔というものです。


   現代にもたくさんの魔がいます。庶民がかかわっている
   ところの宗教、魔の宗教です。



   この 『 他 』 と違うということがはっきりしませんと、
   我々には、漠然と真宗を考えてしまうことになります。

   そのために何が何やら分からない、何をどうしたらよいのか
   分からないのです。 ・・・・・」 とあります。



お聴聞とは、その違いを、そして何をどうすればよいのかを、
聞き開くことではないでしょうか。
親鸞聖人の教えを正しく聞かせていただくことだと思います。



妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、4月20日に変わります。