20年の記録
佐賀で初めての大会が開催されて以来、数々の歴史を刻んできました。笑顔があり、友情があり、涙もありました。今年もまた、新たな歴史の一頁が刻まれます。
1980年
佐賀で初めての熱気球大会「バルーンフェスタイン九州」を開催。その後毎年11月に大会を開催するようになる。
1981年
「バルーンフェスタイン佐賀」と名称を変更。
1984年
国際大会になり「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」と名称を変更。日本選手権も同時に開催するようになる。
「パシフィックカップ」を制定。
1989年
アジアで初めての世界選手権「1989第9回熱気球世界選手権」を開催。その成功により、佐賀は世界中のバルーニストの憧れの地となる。
1990年
「熱気球太平洋選手権」を開催。熱気球では唯一の女性パイロットのランキングを決定する「レディスワールドカップ」を制定。
1997年
「1997佐賀熱気球世界選手権」を開催。
1998年
「佐賀空港」開港後、初の大会。
1999年
佐賀で大会が開催されて20周年を迎える。
佐賀の熱気球大会開催の歴史
1978年(昭和53年)より、福岡県甘木市を中心に「バルーン・フェスタ・イン九州」という大会が始まりました。2年ほど10機程度の参加(ほとんど西日本の気球)で行われましたが、1980年(昭和55年)から、開催地を佐賀市に移動しました。そして、翌年、もっと佐賀に定着するために「バルーンフェスタ・イン佐賀」と改称しました。
そのころ、日本気球連盟では日本国内の気球競技会を統一するために国内ランキング運営委員会を組織し、国内ランキングを設定しました。そのランキング決定は、事実上、11月に行われていた佐賀の大会で最終的に決定されてきました。競技を目指すパイロットにとって佐賀は、非常に重要な意味を持っていたのです。それは、この大会が、暦の上で最後に位置する大会だったということもありますが、他の各地の大会に比べて、佐賀はほとんど確実にスケジュールを消化できる安定した天候を確保できたことが最大の理由でした。
また、飛行エリアとしての佐賀平野の広さ、参加者の宿泊施設を確保できる県庁所在地佐賀市の大きさ、また、国際空港でもある福岡空港から1時間の距離に位置する交通環境の良さなどが非常に大きな要素となりました。
1984年(昭和59年)から、将来世界選手権を誘致することをふまえ、またマンネリ化しつつあった大会を魅力あるものに改造するために、国際大会を開催することにしました。また、日本国内からも通年にわたるランキング競技シリーズではなく、短期間に集中して競技を行う日本選手権の実施要求が出され、過去の競技運営実績から佐賀が第1回の日本選手権開催地に選ばれました。以後、3度の北海道上士幌での開催以外は佐賀で開催されています。
第1回の国際大会は、大会名称を「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」とし、海外から18機の参加、国内31機の参加を得て、成功裡に終わりました。大会の優勝者は、オーストリアのパイロットでした。同時に日本選手権を実施し、また、第2回目からは、パシフィックカップを制定し、国際大会の優勝者に授与してきました。
第3回大会(1986年)は、1989年の世界選手権佐賀開催が決まったことと「熱気球の佐賀」が世界的に広まったことにより、31機余りの気球が海外から集まり、選手も世界各国から110名やってきました。国内気球も52機となり、総勢83機の大会規模は、欧米以外では、最大規模となりました。勿論80機規模の国際大会は、世界でもそんなに多くはなく、FAI(国際航空連盟)の認定する第1種の国際大会(世界選手権と同じレベル)となりました。
第4回大会は、オーストラリアで第8回熱気球世界選手権が開催され海外参加者は減ったものの、国外15機、国内61機の76機の参加を得ました。その中には、1985年度の世界チャンピオンも含まれ、佐賀の世界選手権にかける意気込みを感じました。また、毎年の国際大会には、全国各地から役員・スタッフとして気球愛好者が数百人参加していましたが、このころから地元からの参加者も増え始め、佐賀市民・県民のおまつりとして発展してきました。気球クラブを作って参加される方やクルーとして海外チームに協力していただいた方、競技スタッフとして参加される方、また、参加者のためにすばらしいパーティーを企画運営していただいた方もいます。これらの状況をみますと、一部の愛好者のために始まった大会から、「熱気球の街佐賀」としてすっかり定着してきた感じがします。
このような中、1989年(平成元年)佐賀市政100周年の年にアジアで初めての世界選手権が佐賀で開催されました。全日程天候に恵まれ、予想を大きく上回る117万人もの観客が佐賀の大会を満喫し、佐賀の至る所で国際交流が行われました。
この世界選手権の成功をきっかけに、1990年(平成2年)からは、「太平洋選手権」と世界で唯一の女性だけのNo.1を決める大会「レディースワールドカップ」が新設され、世界選手権以後も佐賀で熱い戦いが繰り広げられていました。
一方で、当時、佐賀県民の夢であった、佐賀空港開港が平成10年に迫っており、空港と熱気球の共存が危ぶまれてきました。
佐賀県民・市民のあいだでは、これらの共存を求める声があがりました。
これらの声をうしろだてとし、運輸省を始め、佐賀県、佐賀市、熱気球関係者などで、この二つの夢を共存できないか検討を重ねました。
そのようななか、もう一度佐賀で熱気球の世界選手権を開催したいとの声があがりました。
1993年(平成5年)にルクセンブルクで行われた第11回熱気球世界選手権での佐賀パーテイー、1993佐賀インターナショナルバルーンフェスタなどでの誘致アピール等を重ね、1994年(平成6年)3月にスペイン、マルベーリャで行われた国際気球委員会の定例本会議の席で、満場一致で1997年(平成9年)の熱気球世界選手権の開催が決定しました。
今回は、対抗国がなく、満場一致で決定しました。これは、1989年(平成元年)の佐賀での世界選手権をはじめとする、これまでの佐賀の国際大会が世界に認知されている証拠だと思います。潜在的に世界選手権誘致を計画していた各国が、ヨーロッパ選手権や1999世界選手権に計画を変更したり、初めて国際気球委員会の本会議に参加したフィリピン、中国が支援を表明してくれたことも二度目の誘致に成功した要因のひとつだと思います。
1997佐賀熱気球世界選手権は佐賀空港開港を次の年にひかえ、熱気球だけにとどまらず、スカイスポーツの発展を目的に行われました。
また、観客・地域住民が参加できるイベントにするため、体に何らかの障害を持った人たちや、子どもたちに将来の夢を持ってもらおうと「ハートフルデー」や「キッズデー」を設定しました。
この大会を契機に見るイベントから参加型のイベントへ発展しようとしています。
1998年の大会は、有明佐賀空港開港後初の大会となりました。
空域は少し狭くなりましたが、これからも国際大会を開催できることが証明されました。
1999年は、佐賀で熱気球の大会が行われて20周年目の大会で、歴代チャンピオン7名の招待、日本一大きな熱気球「ラブ号」招聘、それに20周年記念のフォトコンテスト・佐賀熱気球回顧展等を開催した。
佐賀大会の歴史 / 大会開催規模
1978バルーン・フェスタ・イン九州 (開催地:甘木) 5 機 競技飛行なし
1979バルーン・フェスタ・イン九州 (開催地:甘木) 8 機 2 タスク
1980バルーン・フェスタ・イン九州 14 機 2 タスク 観客動員 3万人
1981バルーン・フェスタ・イン佐賀 18 機 4 タスク 観客動員 5万人
1982バルーン・フェスタ・イン佐賀 24 機 観客動員 8万人
1983バルーン・フェスタ・イン佐賀 34 機 8 タスク 観客動員 10万人
1984佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 49 機 (競技外 16)
第1回パシフィック・カップ 33 機 (国外 10機)
第1回日本選手権 23 機
7 タスク 観客動員 12万人
1985佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 50 機 (競技外 20)
第2回パシフィック・カップ 30 機 (国外 10機)
第2回日本選手権 25 機
8 タスク 観客動員 15万人
1986佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 83 機
第3回パシフィック・カップ 83 機 (国外 31機)
第3回日本選手権 52 機
8 タスク 観客動員 20万人
1987佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 76 機 (競技外 18)
第4回パシフィック・カップ 58 機 (国外 12機)
第4回日本選手権 46 機
8 タスク 観客動員 25万人
1988佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 92 機 (競技外 10)
第5回パシフィック・カップ 82 機 (国外 20機)
第5回日本選手権 62 機
11 タスク 観客動員 35万人
1989第9回佐賀熱気球世界選手権 132 機
世界選手権 102 機 (国外 94機)
フェスタ (第6回パシフィック・カップ) 23 機 (国外 5機) *10 タスク
オフィシャル気球 7 機
18 タスク 観客動員 117万人
1990佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 85 機 (競技外 13)
第1回熱気球太平洋選手権 50 機 (国外 17機)
第7回パシフィック・カップ 82 機 (国外 34機)
第1回レディス・ワールドカップ 22 機 (国外 13機)
12 タスク 観客動員 80万人
1991佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 110 機 (競技外 12)
第8回パシフィック・カップ 98 機 (国外 34機)
第2回レディス・ワールドカップ 17 機 (国外 7機)
第8回日本選手権 64 機
フェスタ・オフィシャル気球 12 機 (国外 3機)
14 タスク 観客動員 89万人
1992佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 136 機 (競技外 24、19ケ国・地域)
第9回パシフィック・カップ 112 機 (国外 40機、16ケ国・地域)
第3回レディス・ワールドカップ 14 機 (国外 7機、6ケ国・地域)
第9回日本選手権 72 機
バルーン・ファンタジア '92 8 機 (国外 5機、5ケ国・地域)
フェスタ・オフィシャル気球 16 機 (国外 3機、5ケ国・地域)
11 タスク 観客動員 88万人
1993佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 136 機 (競技外 26、17ケ国・地域)
第10回パシフィック・カップ 110 機 (国外 34機、15ケ国・地域)
第4回レディス・ワールドカップ 12 機 (国外 7機、6ケ国・地域)
第10回日本選手権 76 機
バルーン・ファンタジア '93 8 機 (国外 7機、5ケ国・地域)
1993日本熱気球グランプリ最終戦 18 機 (国外 3機、4ケ国・地域)
13 タスク 観客動員 63万人
1994佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 120 機 (競技外 19、16ケ国・地域)
第11回パシフィック・カップ 101 機 (国外 33機、14ケ国・地域)
第5回レディス・ワールドカップ 10 機 (国外 4機、6ケ国・地域)
第11回日本選手権 68 機
バルーン・ファンタジア '94 6 機 (国外 4機、4ケ国・地域)
1994日本熱気球グランプリ最終戦 20 機
フェスタ・オフィシャル気球 13 機 (国外 1機、2ケ国・地域)
17 タスク 観客動員 98万人
1995佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 121 機 (競技外 21、16ケ国・地域)
第12回パシフィック・カップ 100機(国外34機、14ヶ国・地域)
第6回レディス・ワールドカップ 13 機 (国外 5機、5ケ国・地域)
バルーン・ファンタジア '95 7 機 (国外 5機、3ケ国・地域)
1995熱気球ホンダグランプリ最終戦 20 機
フェスタ・オフィシャル気球 14 機 (国外 2機、2ケ国・地域)
10 タスク 観客動員 81万人
1996佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 128機(競技外23、17ヶ国・地域)
第4回熱気球太平洋選手権 50機(国外19機、8ヶ国・地域)
第13回パシフィック・カップ 105機(国外39機、15ヶ国・地域)
第7回レディス・ワールドカップ 9機(国外4機、5ヶ国・地域)
第13回日本選手権 66機
バルーン・ファンタジア '96 7機(国外5機)
1996熱気球ホンダグランプリ最終戦 26機
フェスタ・オフィシャル気球 16 機 (国外 3機、3ケ国・地域)
15タスク 観客動員 88万人
1997佐賀熱気球世界選手権 170 機(38カ国・地域)
世界選手権 112 機 (国外108機、38カ国・地域)
1997熱気球ホンダグランプリ最終戦 20機(国内のみ)
フェスタ 11 機 (国外6機)
オフィシャル気球 14 機(国内のみ)
21 タスク 観客動員 107万人
1998佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 101機(競技外23、12ヶ国・地域)
第14回パシフィック・カップ 79機(国外21機、10ヶ国・地域)
第15回日本選手権 57機
バルーン・ファンタジア '98 10機(国外5機)
1998熱気球ホンダグランプリ最終戦 22機
オフィシャル気球 13 機
12タスク 観客動員 72万人
1999佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ 121機(競技外22、14ケ国)
第15回パシフィック・カップ 98機(国外34機、13ケ国)
第16回日本選手権 64機
1999熱気球ジャパン・ホンダグランプリ最終戦 20機
フェスタ部門 1機(国内1チーム・飛行船)
バルーン・ファンタジア '99 9機(国外6機、5ケ国)
フェスタ・オフィシャル気球 13機
12タスク 観客動員 68万人
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